事実は小説よりも、奇なりといいます。 創業時(いまだに、創業期ですが)を、振り返るとまさにノンフィクションなら ではの、味わいがあります。 今では、新しく入社した大半の社員はこの頃の話を眼を丸くして聞きます。 1999年創業からの物語をノンフィクションとして、記録してみようと思い立 ちました。 事業はこうして、興るのかと、何かを感じてもらえれば幸いです。


P.G.C.D. STORYは毎週火・金曜日が更新日です
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2006年12 月29日 (金)

VOL.96 終わりに

気づけばいつしか自分も、最初に出会った石津の歳になってしまっている。
晩年恩師と思い出話をしながら、気づかされたことがある。
自分には一生の宝となった、深いいくつもの思い出も、当の石津はほとんど覚えてはいなかった。
「そんなことがあったか?」と聞き返す恩師に、私には忘れられない思い出ですよと少し悲しかったのを思い出す。
日々接する社員にとっては、これがその一生に残る出来事になるのかもしれないと丁寧に接するように心がけている所以である。
そして彼らにとって大切な一言をかけられるよう努力もしている。石津への心からの恩返しのつもりで。
P.G.C.D. STORYは、私の物語でもあり、私の出会った人たちの物語でもある。そして息子からその子供たちへと続く物語でもある。
最近はただ座ってさえいれば、世界中の物語が手に取れる便利な世の中になってしまった。
素晴らしい映画や素晴らしい出来事が、TVを通して日常に溢れている。
今や感動は、スクリーンやブラウン管の中の出来事になってしまった。
大衆の不満のガス抜きの役割を担っている罪としては、かの皇帝ネロの時代のコロセウムより今のTVの罪のほうが重いとさえ感じる。
P.G.C.D. STORYは、現実の物語である。
もしこの物語をお読みになっている若い人がいらっしゃるとしたら、ぜひ伝えたい。
感動とは、三人称で感じる感情ではないと思う。
自らが当事者として行動して、主体的に一人称として感じる感情だと思う。
感じ揺り動かされるではなく、感じ揺り動くであってほしいと思う。
人生には物語にありがちな起死回生のホームランもなければ、ドラマチックな逆転タイムリーもない。
でも遠くを見ながら日々を雑に送るのではなく、つまらないかもしれない一日一日を丁寧に大切に送り続けた人には、その長さに比例して素晴らしい日が訪れるのも紛れのない事実である。
そしてそこに感動する、その人だけのそれぞれの価値ある物語がある。
いつかどこかでこのP.G.C.D.という文字を見かけることがあれば、日々丁寧に根気よくという習慣に価値を感じた仲間が、いままさに行動し続けているんだなと感じてもらえれば、この上もない幸せである。
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